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1000年のまなざし(薬師堂本尊「木造薬師如来坐像」 国指定重要文化財) [2.まなざし(画像集)]

年に一度だけ、10月10日に薬師堂本尊「木造薬師如来坐像」(国指定重要文化財)が開帳される。
平安時代末期、あるいは鎌倉時代初期の製作といわれるが、作者は不明。
玉造小町が武蔵国分寺の薬師如来に病気平癒の願をかけたという「玉造小町伝説は平安時代前期とされているので、それよりは時代が新しいようだが、1333年、新田義貞軍による兵火で武蔵国分寺が全焼した際、みずから飛翔して難を逃れたと伝えられる。

古代寺院「武蔵国分寺」が焼き払われた2年後の建武二年(1335)、新田義貞の寄進により国分僧寺の金堂跡付近に薬師堂が建立されたと伝えられるが、まさにこの薬師如来像を安置するための薬師堂寄進だったのだろう。その後、薬師堂は宝暦年間(1751~1763)、ハケ上の現在地に再建され、現在に至る。

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▲ご開帳の日、薬師堂は参拝者でびっしりと埋め尽くされる。格子の奥、中央の逗子が開かれ、その前で護摩がたかれる。

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寄木造の漆箔仕上げで、像高は約191.5センチメートル。蓮華座に坐し、印相は右手が施無畏印、左手に薬壷を持っている。台座および光背は後代の補作らしい。薬師如来は、日光・月光の両菩薩を脇侍とし、眷属として十二神将を従えている。

20101010薬師如来坐像ご開帳-12.JPG
数々の受難をくぐりぬけながら、900~1000年の間、この眼差しがこの地を見守り続けてきた。
これほどまでに顔が真っ黒に黒光りしている仏像を他に見たことがない。
ところどころ金箔が残っており、黄金色に輝いていた往時の姿がしのばれる。

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